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名古屋高等裁判所 昭和30年(う)115号 判決

控訴人 検察官

被告人 山本三郎こと張鎮洛

弁護人 田中一男

検察官 香川幸

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役参年に処す。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は津地方検察庁検事正雪下陽三郎名義の控訴趣意書記載の通りであるから右記載を引用する。

職権を以て調査するに原判決は押収にかかる靴一足(証第一号)を本件犯行の供用物件として刑法第十九条第一項第二号第二項本文に従つて没収しているが、右靴は被告人が屋外路上での本件犯行の際偶々履いていたもので、被告人は右靴を履いたまま被害者坂本米相こと朱相賛の腹部を数回けり上げ以て本件傷害致死罪を犯したものであることは記録上明らかである。刑法第十九条が原則的に過失犯に対しても適用せらるべきかどうかは別論としても、少くとも同法第十九条第一項第二号の供用物件の関係に於ては単に結果から見て犯行に役立つたと云ふだけでは十分でなく犯人が之を犯行の用に供する意思を以て直接犯行の用に供し又は供せんとしたことを必要とするものと解するを相当とする。然るに本件は前記の如く被告人が被害者を足蹴にしたとき偶々靴履きのままであつたのに過ぎないものであるから、本件の供用物件ということはできない。従つて原判決が之を本件の供用物件として没収したのは違法であり、破棄を免れない。

検察官の控訴趣意について。

原審及び当審が取調べた証拠を綜合して考察すれば被告人は原判示の日時場所において朱相賛と口論の上河本吉夫こと河椢[火同]が仲裁するに拘らず、原判示の如く手拳を以て朱の頭部を殴打し、更に革靴(証第一号)を履いたまま同人の腹部を数回蹴り上げ、遂に同人を死に致らしめたものであるが、朱が右暴行によりその場に転倒し蹲つたまま下腹を抱え口から何か物を吐きながら謝罪しているのに対し、何等手当を加えないで放置しておいたばかりでなく、右河が制止するに拘らず朱の髪を掴んで立上がらせ手で顔や頭を殴つたり、靴履きのまま足で頭を蹴つたりしてその場を立去つたものであることを認めることができその残酷非道は言語に絶するものであるから、仮りに医師の治療宜しきを得なかつた為朱の死の転帰を些か早めたとしても、又口論の原因が被害者たる朱にあつたとしても、之が為被告人の右残酷非道の責を軽減するものでなく、而も被告人は余り醉つていないのに泥醉せる朱に対し右暴行を加えたものであり之等の事実に被告人の前科、経歴、家庭の事情その他諸般の事情を考慮すれば原審が被告人を懲役三年に処しながら五年間之が執行を猶予したことは軽きに失するから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り更に次の通り判決する。

罪となるべき事実及び証拠は原判決の記載を引用する。

法律に照すと判示所為は刑法第二百五条第一項に該当するからその刑期範囲内で被告人を懲役三年に処することとし、尚訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用し主文の通り判決する。

(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)

検察官の控訴趣意

原判決認定の事実は、被告人は昭和十九年頃、朝鮮より渡来してから土工等をして各地を転々し、同二十六年二月二十一日佐賀地方裁判所において、暴行恐喝罪により懲役十月執行猶予二年に処せられた者であるが、同二十九年十月二十九日頃仕事を求めて三重県北牟婁郡長島町に来て石田屋旅館に宿泊しているうち、同月三十一日朝から右旅館等において土工仲間の朝鮮人坂本米相こと朱相賛、その他数名等と飲酒を始めて同日午前十一時頃に及び、互に相当酩酊した上、些細なことから朱と口論を始め右旅館を出て、正午頃同町東長島字荻原三百一番地の二鉄道官舎沢内幸雄方前路上に到つた際、仲裁人の慰留を押し退けて手挙を以て朱の頭部を殴打し、更に革靴(証第一号)を履いたまま、同人の腹部を数回蹴り上げてその場に昏倒せしめ、因つて廻腸壊死等の損傷に基く外傷性腹膜炎のために同人をして、同年十一月二日午後一時五十分頃、尾鷲市中井浦五百八十九番地紀勢病院において死に転起するに至らしめたものである。と謂うにある。

右事実につき原審裁判所は、被告人を懲役三年に処する。この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。との判決を言渡したのであるが、該判決は次に述べる理由により刑の量定が著しく軽きに失するから到底破棄を免れないものと信ずる。

(一) 腹を蹴る事は刃物等の兇器を以てする犯行と等しく残酷なものである。又本件犯行は一時の憤激の余り忘我的発作的になされたものでなく、その方法も残虐である。

(1) 本件において被告人の犯行が刃物等の兇器によらないものであつたと云うことは、その行為の際の暴行或いは傷害の故意が軽度のものであつた事を示すと一応考えられる。しかし、かく断定することは危険である。朝鮮人がよく喧嘩などに際し相手の下腹を蹴ると云う事実は、我我に一般的に知られているのであるが、原審において取調べた河椢[火同]の昭和二十九年十一月五日附司法警察員に対する供述調書記載によれば「我々朝鮮人が喧嘩をする時は、第一に自分の頭を相手の頭にぶつつける方法とか、第二には相手を蹴るのですが、この蹴るのは仲々すごいもんで、立つたまま相手の頭のところ迄足が上り、そのため十五日位蹴られた方が寝ると云う様なこともあります」(一三六丁)とあるが、これによれば朝鮮人の間では喧嘩その他の斗争に際し相手を倒すための有効な武器として相手の腹部を蹴ることがよく知られて居り、又活用されていることが推定されるのである。ところで腹部を蹴る時は、往々にして腸管、その他の内臓器管を破裂せしめて死の結果を惹起せしめる事があり、或は少くとも重大な傷害を負わしめるものであることは、我々の日常経験するところである。下腹を突くか蹴るかすることが、危険な行為であるということは、我国においては小学校の児童すら了知して居ることであり、柔道、相撲においても古来、それは「封じ手」或いは「禁手」として固く禁ぜられているところである。我々の常識に従えば腹部を蹴る、しかも靴履きのままの足で蹴るということは相手方に対し、相当強度の悪意を持ち、又少くとも重大な傷害を負わしめる故意なしではあり得ないことである。一言にして言えば残酷であり残虐だと云うに尽きる。従つて腹部を蹴つたというその一事を以て、刃物等の兇器によつた場合と同様に、場合によつてはそれ以上にも、行為者の悪質性を強調して過言ではないと考える。ところで本件においては、加害者も被害者も共に我が国人でなく朝鮮人であるが、しかしそのように朝鮮人であるからという理由で、右の道理がそのまま妥当しないということはない。朝鮮人が日本人に比して腹部の構造が堅固であつて突かれても蹴られても危険はない、という道理は未だ不幸にして我々の知らないところである。否、本件において坂本米相こと朱相賛が蹴られて死んだという事実が、何にもまして雄弁に、我が国に通用する道理が朝鮮人間にも通用することを物語つて居るのである。

(2) 次に被告人が本件被害者の腹部を蹴つた程度について考察を進める。原審において取調べた医師山上熊郎作成の鑑定書記載によれば「廻腸の下端に近き所には長さ約十五糎の間は黒緑色の壊死に陥り……」(三十八丁)「腹部外表には何等の損傷はないが、内部に於ては到る所に出血が認められ腹壁、腹膜下、横隔膜下面、腸間膜内、腎臓外表並に皮質組織内、膵臓等に大小多数の出血個所が存在する。是等は腹部に強裂な鈍力の作用した事を物語るものである」(四十三丁)というのであつて、打撃の強度であつたことが認められ、又原審で取調べた河椢[火同]の検察官に対する供述調書記載によれば「……又二人がつかみ合いを始めたので、私は今度は互に相手の胸ぐらをつかんでいる二人の手の上に体を預ける様にして乗りかかつて行きました。その時、山本が足で蹴つたのか、或いは押したのか知りませんが、坂本が急に仰向けに倒れて行き、私も坂本の傍に横向きに倒れました。そして坂本は片手で下腹を押さえ、何か物を口から吐き乍ら他の片方の手を挙げ……」(一四一丁-一四二丁)とあつて腹部を蹴る際の打撃が大の男二人を倒す程の強度のものであつたことが推定されるのである。

(3) 最後に、我々は本件において被告人の犯行が忘我的、発作的になされたものでなく、又残虐極まるものであつたことを強調しなければならない。原審において取調べた証人尋問調書記載によれば「青い背広を着た人(被告人を指す、以下同じ)は、たいして醉つている様には思いませんでした。作業服を着ていた人(被害者を指す、以下同じ)は大分醉つていたのかよちよちして居ました青い背広を着た人の方が強いように見えました。私がみていた間は作業服を着た人は何かぶつぶつは云つていましたが、別に抵抗はしませんでした……」(九十三丁)とあり、又原審で取調べた右同女の検察官に対する供述調書記載によれば「私の見た処では背広の男(被告人を指す、以下同じ)が圧倒的に強く、作業服の男(被害者を指す、以下同じ)は問題にならん様でした。背広の男は「お前なんかドスで突き殺してやろうか」と申して居りました。又、作業服の男は酔つて居るのかふらふらして居るのに対し、背広の男はしやんとして、酔つて居る様には見えませんでした。」(一六六丁)とあり、又原審で取調べた前川佳宏の司法警察員に対する供述調書記載によれば「写真の張さんと云う人(被告人を指す、以下同じ)が、いきなりコゲ茶色のジヤンバーを着た人(被害者を指す、以下同じ)の下腹の辺を立つたまま、履いて居る赤茶色の革靴で、二、三回程蹴つたのであります。するとコゲ茶色のジヤンバーを着た人が腹の辺りに手を当てて苦しそうにキコクの木のそばにうづくまつて仕舞いました。写真の張さんと云う人はうづくまつて居るコゲ茶色のジヤンバーを着た人の頭の髪の毛を手で掴んで立たせて置き、手で顔や頭を殴り、「ドスでもピストルでも恐くない。ドスを出すぞという様な男はそんなに弱かつたらいかん、そこらでドスを借りて来い」と云つて居りました。そのとき三回ばかり背広を脱いだ人(仲裁人の意)は、二人の中に入つて「止めておけ」と云つて、写真の張さんと云う人を大西さん方裏の所に座らして押えて居りましたが、写真の張さんと云う人は座つて居ても、すぐに立上つて来て、茶色のジヤンバーを着た人の所に寄つて行き、うづくまつているのに、履いている赤茶色の革靴で頭を二、三回蹴つて居りました。私が喧嘩を見始めてから一時間位をそんなことをくり返し、しつこくして居りました……」(一五四丁-一五五丁)とあるのであつて、これとほぼ同趣旨の証人沢内幸一の証人尋問調書の記載等を併せ考えれば、被告人は体力において自分より数等劣る被害者が酒に酔つてふらふらして居るのに対し、余裕を持つて長時間に亘り一方的に攻撃を加えたものであつて、到底忘我的、発作的に腹を蹴つたものとは認められず、しかも被告人のため腹を蹴られてその場にうづくまつて了つた被害者に対しても、尚、飽く事を知らぬもののように殴り且、蹴つて居たものであつて、まことにその残虐さには慄然とするばかりである。常人ならば一時の憤激の余り、相手の腹部を蹴つたとしても、相手が腹を押えてうづくまるならば、思わずはつとして攻撃の手を止めるはもとより、直ちに医者よ、薬よと立ち働いて被害者の救出に全力を尽すことであろう。又、かくあつてこそ始めて、これを見聞きする世人は右の反人道行為者の中にも一片の人道ありと認めて彼を宥すと同時に自分自身安心するのである。本件において被告人の行為を眺めるとき、我々の人道的正義観に自己満足を与えしむべきものは残念乍ら発見することが出来ないのである。

(二) 被告人の経歴、性格、犯罪の動機、情状等において特に憫諒すべき点は発見出来ない。

(1) 原告において取調べた指紋照会書回答票記載、被告人の昭和二十九年十一月四日附司法警察員並びに検察官に対する各供述調書の記載及び被告人の原審公判延における供述によれば被告人は西暦千九百二十三年十二月三十日生の朝鮮人であつて、昭和十九年頃日本に渡来し、以来九州地方、大阪、岐阜等の各地を転々し、土工、闇商売等をして居たものであり、その間昭和二十六年二月二十一日佐賀地方裁判所において暴行、恐喝の罪により、懲役十月執行猶予二年の刑に処せられて居り、又日本人の妻木下くにえを有するが、子は無く、別居して居り、被害者坂本米相こと朱相賛とは昭和二十九年四月頃から同じ土工飯場で働いて居たことがあるので仲良くして居たものである。ことが認められる。

(2) ところで被告人の性格であるが、第一に右の前科経歴が示す通り、粗暴なる性格の人物であることは明らかであり、既に執行猶予の恩典を一回受けて居ることは本件科刑上最も考慮すべき事項の一つである。第二に多くの虚言を弄する人物であることが、記録を精査すると認めることが出来る。我々は多くの犯罪者を見るのであるが教育刑主義の所謂矯正保護の点から虚言癖が不適格の性格の一として認められて居ることは明らかである。被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書記載(一七六丁-一七七丁、一九一丁)によれば被告人が自己の不良経歴を進んで陳述した跡は認めることが出来ない。自己の不良経歴を隠すことは犯罪者に限らず、一般人の通有性であり、又既に執行猶予期間の満了して居る前歴の発表を求めるのは、求める方が無理であると言えばそれまでであるが、悔悟して居る犯罪者の中には進んでかかる場合陳述する者も稀ではない。然し右の如き存在することを否定し、或は陳述しないのは消極的虚言であつて未だ情は軽いと見られるのであるが、被告人は本件において存在しないことを存在するように陳述した積極的な情の重い虚言をなして居る事に注意しなければならない。即ち原審第一回公判の際被告人は、「私が朱相賛を入院させたり、輸血もした位ですから……」(九丁)と述べ、同第二回公判の際にも裁判長の「被告人は病院で坂本に輸血したのか」との問に対し「二〇〇cc出しました」(一一九丁)と述べて居るのであるが、原審において取調べた他の如何なる証拠によつても該輸血がなされたとの事実を認めるべき証拠はなく、却つて前述医師山上熊郎作成の鑑定書記載によれば、「第三紀勢病院の病症日誌」「輸血は一回も行わなかつた」(三一丁-三三丁)とあるのであつて、少くとも医師の手による輸血はなかつたと考えなければならない。しかも輸血は高度な医学上の知識と技術とに依存するものであつて、医師の手を経ない被告人自らの手による輸血と云うことは常識上否定されるから、結局、被告人の右「輸血をなした」との供述は虚言と断定しなければならず、しかも、この虚言たるや頗る悪質なものと云い得るのである。

(3) 最後に犯行の動機情状についてであるが、原審において取調べた諸証拠によれば被告人は自ら被害者と仲良くし、平生被害者の面倒をよく見て居たこと、犯行時は被害者の方から理由なく喧嘩を吹きかけて来たこと、被告人は始めはそれをなだめて居たものであること、喧嘩の際も腹を蹴つたことはないこと等自己に有利に供述して居るのであるが、該供述は次に述べる如き証拠から考えて、たやすく信用出来ないものがある。即ち前述の河椢[火同]の検察官に対する供述調書記載によれば、「十月三十一日は仕事が無かつたので、丁度朝鮮人同志が集つて酒でも飲むことにしました。……後で大野から聞けば坂本は山本に対して「ドスをすつぽ抜いたろか」と云う様なことを云つて居たそうです。昼頃になつて私は宿を出て駅前のパチンコ屋でパチンコをやりました。二十分位遊んで外え出て見ると坂本は石田屋旅館の前に立つて居り、山本がその後から階段を飛び下りるようにすばやく宿から出て来ました。間もなく山本が坂本に対して「一寸向うへ用があるから行かう」と云つて二人で北の方へ歩いて行きました」(一三九丁-一四〇丁)とあり、又原審で取調べた呂基祥の司法警察員に対する供述調書記載によれば「それから少し痛みが少しおさまつた様でしたので、坂本さんにどうしたのかと聞きましたところ、坂本さんは「今日の喧嘩の原因は何でもないことで兎に角酒が悪いんや、山本さんと二人で石田屋で酒をのんでおつたその時、山本さんが私に金が無いので、二、三百円貸してくれと云つたが、私は金が無いと断つたところ、くどく金を貸してくれと云うので私は酒の元気もあつて、私をなめてそう云うのならぶち切つたる、とに角表に出よと言つたのが原因で、あそこ(鉄道官舎の附近道路上のこと)で山本さんに腹を蹴られたんや」(一四八丁-一四九丁)と云ふのであり、これらと既に記述した喧嘩の際の攻撃防禦ぶりとを併せ考えるならば、被告人は単なる仕事休みの日の仲間同志の飲酒の席上で朱相賛に借金を申込み、これを断られた上朱相賛から「表へ出ろ」と云われたので、借金を断られたその腹癒もあつて喧嘩の挙に出たものであり、喧嘩の場でも同人に執拗に攻撃を加えたことが認められるのであつて、被告人の云う如く理由なく朱相賛が喧嘩を吹きかけたものとは考えられない。又犯行後の措置としても前述の輸血の件は前述の通りであり、医師の診断を求めるに際しても、前述の被告人の供述、或いは供述調書記載によれば、被告人は腹を蹴られて、そのまま蹲りもはや起居の動作が出来なくなつて了つた被害者を数間時放置し、その後他の者が被害者を医師の許へかつぎ込むのを認めてから始めて立ち働くやうになつたものであつて、その間の怠慢について止むを得ざる事情があつたとは認められない。更に又前同呂基祥の供述調書記載によれば「私は医者の診断を誤まらせてはいけないと思つて森先生に実は喧嘩して腹を蹴られたらしいので、食あたりとは違うと内緒で云いました……」(一四九丁-一五〇丁)とあつて腹を蹴られた旨を医師に告げて診断を誤らしめない措置をとつたのは、右呂基祥であつて、被告人の如きは自ら腹を蹴つた責任を恐れてか、回避するためか、腹を蹴つたと云うことは遂に終始明らかには認めないのである。以上要するに被告人の経歴、性格、犯行の動機、その後の情況等において、特に憫諒すべき点は一つとして発見することが出来ない。

(三) 個人の生命に対する侵害は重く処罰されなければならない。又、内外人の別により生命の法益保護に差異があつてはならない。凡そ個人の生命が最大の法益として、法上厚く保護されるべきであることは何人も異論の無いところであり、その生命を犯罪行為によつて奪つた者は厳しく糾弾されるべきであることも当然の事に属する。即ちそれが社会の秩序と平和とを維持する所以であるからである。しかるに現今、ややもすれば生命が不当に安く評価され「人を殺しても八年懲役に行けば済む」と放言する不逞の輩すらあると云うことは、社会の平和と秩序のため深く憂うべきである。しかし我々は個人の生命が尊重されるべきことを痛感すると同時に、そのことを自明のことであると信ずるが故に、その問題についてはこれ以上論ずることはしない。次に本件が加害者、被害者共に朝鮮人であつて日本国民は直接の利害を有しないと云う特殊な事件であるからこの点について若干考えてみたい。刑法はその第一条において「本法は何人を問わず、日本国内において罪を犯した者に対して適用する」旨規定し、又傷害致死罪の行為の客体たる人についても内外人の別は問わないのであるから法律上の問題は起り得ない。しかし事実問題としては、たとえ日本国内において発生した事件であつても、外国人同志の間の犯罪であつて、日本国民の利害に直接の影響はないと云うことになれば、事態を軽く見勝ちであることは人情の自然と云うべきである。しかしそのことの誤りなることは多言を費すことなくして明白である。一国民の文明の尺度は、その国の法律がその国に居住する外国人に対して如何に適用されて居るかを見れば判明すると云われて居る。所謂治外法権のそのよつて来る原因の一は、その国の法律適用がその国居住の外国人によつて信頼されないからであることは、古今の歴史の我々に教えるところである。法制が如何に。羅を装つたとしても、その運用が信頼されないものであるならば、所謂羊頭狗肉と云うの外はない。近代法治国、文明国を自負する程の国家は所謂内外人無差別主義を法制上の原則として居るのであるが、このことは単に法制上そうであるばかりでなく、現実の法運用上もそうでなければならない、と我々は信ずる。若し、そうでなかつたら我々はその自負する近代法治国を信頼することは到底出来ないであろう。従つて本件においてさきに述べた如き理由により内外人無差別主義に多少の手心を加えるとするならば、それはただに法律の精神に背反するばかりでなく、我が国の法治国としての威信を内外共に失うことになるであろう。もとより我々は原審裁判所がそのような内外人不平等観に支配されて原判決をなしたものではないと信ずるのであるが、結果においてそのような印象を与えたことを深く遺憾とするものである。

以上述べた如き理由に基き、原審立会検察官は被告人を懲役五年の実刑に処するのが相当であると思料し、その旨意見を述べたのであるが、原審裁判所は漫然と「被告人を懲役三年に処する」とし、尚、原審弁護人すら執行猶予の裁判を求めなかつたのに拘らず、首肯せしむべき何等の理由なく「この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する」旨の判決を言渡したのであつて、科刑は著しく軽きに失し、到底裁判の尊厳を維持することは出来ないから、破棄を免れないものと信ずる。以上の各理由により改めて厳重なる裁判を求める次第である。

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